会長挨拶

今日、精神分析家ウィニコットの評価はますます高まっているといって良いでしょう。フロイト以降の偉大な精神分析家たち、フェレンツィ、クライン、ラカン、ビオンらと並べても、ウィニコットは、その臨床と理論の独創性において、他の追随を許さないように思います。
ウィニコットは大胆な、しばしば実験的な臨床実践を行ったことで知られていますが、それについて知れば知るほど、彼が規格外だというのではなく、真に独創的だったということが分かります。
また、良く知られているように、彼の理論は、当たり前のことを言っているようでいながら、私たちの生きることの本質をついているので、私たちに強い印象を与えます。

さらに特筆すべきことは、彼の理論が単に精神分析の理論に留まらず、文化や芸術もその射程に含めたものである、ということです。私たちは、その著作を通してしか、彼と触れることは出来ないのですが、彼の文章を読むたびに、私たちは彼との対話に巻き込まれていきます。それは彼自身が、対話へと誘う語り口を心掛けているからだと思います。
彼は弟子を作らず、学派を構成することはありませんでした。それゆえ、私たちは誰一人としてウィニコッティアンではありません。

しかし、私たちは、彼の精神を継承し、それを臨床やその他の実践に活かしていきたいと思って、日本ウィニコット協会を設立しました。
私たちの考えに共鳴してくださる皆さんとともにこの協会を発展させていければ、と願っています。

日本ウィニコット協会 会長
館 直彦
(たちメンタルクリニック / 大阪市立大学大学院)

顧問挨拶

It is a profound moment in the history of psychoanalysis that forms the Japanese Winnicott Association. From his first writings and the way he practiced Winnicott exemplified many “eastern” predicates, from his belief in the communicative value of silence and the value of solitude, to his poetic style of writing, where brevity and the unsaid reached readers in profound ways. The Japanese Winnicott Association is now a potential space and the world is already a better place.

Christopher Bollas

ウィニコットはどのような人物か?

Donald Woods Winnicott(1896-1971)は英国プリマスに生まれ、医師の資格を取って小児科医としてのキャリアを始めました。彼はこの領域で、心理的要因が子どもの心身の状態に影響を及ぼすことに着目した児童精神科医の草分けの一人です。
その後、彼は精神分析家を志しました。彼は、1920年代にフロイト全集を英訳したことで有名なストレイチィから教育分析を受け、メラニー・クラインからスーパーヴィジョンを受けるなどして精神分析家となります。
彼は1945年以降、独自の精神分析理論を展開するようになりますが、その独創性についての認識は、1971年に亡くなった後も、深められていると言えるでしょう。
2017年に、ようやく彼の全集が刊行されました。
彼はまた、BBCでのラジオ番組や新聞・雑誌への投稿を通じて、精神分析的な人間理解を一般大衆に広めるのに貢献した一人と目されています。

ウィニコットの主な理論

ウィニコットはフロイトの精神分析理論を基盤におきつつも、独自に理論を展開しました。
彼は、人がどのようにして自分という感覚を持つことが出来るか、どのようにして人は生き生きとすることが出来るかに関心を向けました。

彼の理論は多岐にわたっていますが、主要なテーマはいくつかにまとめられるでしょう。

母親-乳幼児関係の理論について

彼は小児科医だった経験から、赤ん坊の発達の背景には常に養育者(主には母親)がいることを認識し、「一人の赤ん坊などというものはいない」というアフォリズムを残しています。
これはただ単に赤ん坊と養育者の関係を述べているのではなく、私たちが常に誰かとの関係の中を生きていることを言い当てたものです。治療関係も、治療者と患者の関係のなかで展開するというわけです。これはシステム論へと展開していきます。
またウィニコットは、赤ん坊と母親の関係を出発点として、人と人がどのように出会うのかについても論じています。
その一方で、母親-乳幼児関係が破綻した場合には、赤ん坊は大変な苦痛を耐えなければならず、防衛のために組織化されるのが偽りの自己です。その前提として、人には本来的に解離する傾向がある、というのが彼の主張です。

移行対象・移行現象の理論

幼い子どもが、ぬいぐるみやタオルなどにしばしば強い愛着を示すことが知られていますが、ウィニコットはそれらを移行対象と命名しました。
彼はかれらが、自分のものであって自分のものでないような中間領域に属する対象である、と考えました。ウィニコットは、移行対象が子どもに特有の専有物とは考えませんでした。
こうした移行対象、あるいはその残滓が、私たちの生活のさまざまな局面で認められるというのが彼の考えです。私たちがセラピーを行う空間は、移行現象の一つであると彼は主張し、移行空間と呼んでいます。

創造性と遊ぶことの理論

ウィニコットは、錯覚の果たす役割を重視しています。彼は、原初の母性的没頭の下で養育されている赤ん坊は、お腹が空いたと感じると乳房を提供されるので、乳房を自分が創造したと錯覚するようになる、と述べています。
これはやがて脱錯覚されなければならないのですが、この錯覚の経験は、創造の経験として生き残る、というのがウィニコットの創造性の理論の根幹にあります。それが体現されているのが遊ぶことであると言えるでしょう。
彼の理論の根底には、このようにpositiveな人間観があると言って良いでしょう。

日本におけるウィニコット受容の歴史

ウィニコットの生前に、日本で彼の理論に着目した臨床家はほとんどいなかったといって良いでしょう。彼の理論の紹介は、当初はガントリップの本などを介して、英国対象関係論の紹介の一部分としてなされました。
1970年代になって、小此木啓吾、橋本雅雄などによる紹介がなされました。さらに西園昌久、牛島定信、神田橋條治など英国留学者を中心とした紹介も行われるようになり、彼の理論がわが国でも着目されるようになり、彼の主著の翻訳がなされました。
一方、精神分析以外の臨床家から、児童精神科医としてのウィニコットの活動の紹介がなされるようになり、精神分析家としてのウィニコットと児童精神科医としてのウィニコットとが別々に紹介される、という不幸な時期もありました。
ウィニコットの理論は、母子関係を重視することや、遊ぶことを強調するため、優しくて口当たりが良いと誤解された時期もあったように思います。
そのため、我が国の伝統的な、あれもこれも取り入れた曖昧なカウンセリングと相性が良いと考えられて、多くの臨床家に、ウィニコット理論が取り入れられた時期がありました。
しかし、そのような誤解が解け、ウィニコット理論が本当は難解であることが認識されるにつれ、ウィニコットがあまり読まれなくなっていきました。
しかし、世界的にウィニコット理論が再評価されていくのと軌を一にして、我が国においても、彼の理論が見直されつつあるように思います。
本協会は、皆さんにウィニコットの本当の姿を知っていただき、その理論がとても啓発的で面白いことを知っていただくことも役割の一つである、と認識しています。

本協会の事業

  • 学術集会「ウィニコット・フォーラム」年1回開催
  • ニュースレターの発行
  • 海外より、ウィニコット理論に造詣の深い臨床家を招聘しセミナーなどを開催
  • ウィニコット理論の研究会、症例検討会の開催
  • ウィニコット関連の情報発信

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